ユークリッドのリズムという音楽理論について論文を読んだのでここにその内容をメモしておきます。
はじめに
ユークリッドのリズム(Euclidean Rhythm)はコンピュータサイエンティストのGodfried Toussaint氏が提唱したリズム理論です。この理論によると、民族音楽などで聞かれる複雑なリズムパターンのほぼすべてを簡潔な数学的方法で記述できるとのこと。なかなか面白そうですね。
DTMの分野ではこの理論に基づいたリズムジェネレーターなどもすでに作られており1)Reason用のEuclidean Rhythmsというシーケンサーや、HornetのHATEFISh RhyGeneratorなど。、ギークな界隈では比較的よく知られている話のようです。
理論の概要は論文(pdf)で公開されています。本項はそこからオイシイと思われる情報をまとめたものです。
なお上論文は前知識なしでも読める入門的な内容だと思いますが、私自身数学は門外漢ですので思わぬ間違いなどがあるかもしれません。本記事はあくまで素人が理解した限りの内容であることを始めにお断りしておきます。
さて前置きはこれくらいにして、さっそくリズムの作り方を見てみましょう。
ユークリッドのリズムの作り方
まずリズムパターンを0と1で表すことを考えます。例えば三拍子で一拍目に「タン」と打つ場合、リズムを打つことを「1」、休符を「0」で表せば「100」となります。
ここではもう少し複雑なリズム、13拍の中で5回「タン」と打つリズムパターンを考えましょう。これには1が5回、0が8回出てきて合計で13回になればいいわけですから、実に様々なパターンが考えられます。が、ユークリッドのリズムを作る場合は以下のような手順を実行します。
まず数字を1と0に分けて書きます。
1111100000000
次に、1と0をくっつけてペアを作ります。1は5個あるので[10]というペアが5個でき、0が3つ余りますね。
[10][10][10][10][10][0][0][0]
3つ余った0を使ってさきほどの[10]の中にくっつけて[100]という形を作ります。[10]+[0]で[100]です。こんな風に余りを先頭のパターンにくっつけて消していくのがユークリッドのリズムの作り方です。
[100][100][100][10][10]
今度は[10]が2つ余っています。これも同じようにくっつけて、[100]+[10]で[10010]という形にします。
[10010][10010][100]
さて、ここまでくると余りは[100]ですが、このように余りが1つだけになった時点で終了します。完成したリズムパターンは
[1001010010100]
となりました。ちなみに、最後に余った[100]を先ほどの手順と同じようにくっつけて[10010]+[100]とし、
[10010100][10010]
としても無意味です。なぜならこのリズムパターンは繰り返してしまえば結局のところ同じ並びになるからです。
[10010][10010][100] と [10010][100][10010] は同じです。
このように、ユークリッドのリズムにおいては、繰り返すと同じパターンになるものは同一であると捉えます。
この1は「タン」という風にリズムを打つ箇所、そして0は休符です。つまり、タンを「♪」、休符を「・」で表せば
♪・・♪・♪・・♪・・♪・
というリズムになったわけです。これをE(5,13)と書きます。13回中5回打つユークリッドのリズムという意味です。他にも例えば8回中3回打つならば、E(3,8)と書けます。
さて、そもそもなぜこれが古代ギリシャの数学者ユークリッドの名が冠されているかといえば、このリズムパターンの作り方は、実はもともと音楽とは全然関係ない科学の分野でE. Bjorklundという研究者が考えたパターンの構成法なのだそうです。そしてこれは二つの数の最大公約数を求める際のいわゆる「ユークリッドの互除法」と手順が同じなので「ユークリッドのリズム」と名付けられたという経緯があります。
「ユークリッドの互除法」とは大きい方の数を小さい方の数で割り、その余りで小さい方の数を割り、さらに…という手順を0になるまで繰り返すもので、学校で習い知っている方も多いと思います。念のためwikipediaに載っていた例を書き写せば
1071 と 1029 の最大公約数を求める。
- 1071 を 1029 で割った余りは 42
- 1029 を 42 で割った余りは 21
- 42 を 21 で割った余りは 0
よって、最大公約数は21である。
となります。ここで先ほどのE(5,13)を例にとれば、まず1と0はそれぞれ5個と8個でしたから
13=5+8
と書けますが、この5と8の最大公約数は考えるまでもなく1です。しかしあえてユークリッドの互除法を適用して求めるならば
- 8を5で割った余りは3
- 5を3で割った余りは2
- 3を2で割った余りは1
- 2を1で割った余りは0
よって最大公約数は1。
となります。これを除法ではなく乗法を使って書けば
- 8 = (1)(5) + 3
- 5 = (1)(3) + 2
- 3 = (1)(2) + 1
- 2 = (1)(2) + 0
となりますね。ここで右辺の5+3、3+2、2+1に注目してください。先ほど0と1で作ったユークリッドのリズムのパターンと同じになっているのがわかると思います。例えば[10][10][10][10][10][0][0][0]というパターンは[10]が5個、[0]が3個なので5+3のパターンです。以下同様にして[100][100][100][10][10]は3+2のパターンになっている…等のことを確認してみてください。
世界のリズムパターンとユークリッドのリズム
さて、このようにして作ったユークリッドのリズムは、Toussaint氏によれば、世界中の音楽で聞かれる様々なリズムパターンと一致しているというのです!ここがとても面白いところです。
元の論文に多くの例が挙げられていますが(見やすいように1をx、0をドットで書いて)そこから少し抜き出せば
E(5,8)は[x . x x . x x . ]でキューバのシンキージョ、E(4,9)は[x . x . x . x . . ]でトルコのアクサク、E(7,12)は[x . x x . x . x x . x . ]西アフリカでよく使われるベルのリズムパターン…などなど。
そして、これらのリズムパターンを円周上の点としてプロットすれば
このような図が描けます。上の(a)も(b)も全部で8個の頂点があり、(a)はE(3,8)、(b)はE(5,8)というパターンであることがわかります。
ところで、これらはくるりと一周して元に戻るパターンなので、リズムを打ち始める開始点をずらすこともできます。それを図で示したのが
これになります。どちらもプロットされた頂点の数は12個で、黒塗りの点(リズムを打つ箇所)は6個なのでE(6,12)ですが、位置が回転してずれているのがわかると思います。このような関係性のパターンは「ネックレス」という用語で呼ばれます。注意点として、このように回転したパターンはあくまでも「ネックレス」であって、もはやユークリッドのリズムそのものではありません。
Toussaint氏によれば、E(7,16)=[x . . x . x . x . . x . x . x . ]のようにサンバのユークリッドのリズムでも実際には6番目にあるxから開始するネックレスの[x . x . . x . x . x . . x . x . ]の方がよく演奏されるということはあります。
ユークリッドのストリングとは
ここまでの話でユークリッドのリズムの基本概念は説明し終わっています。ここから先の話はさらに深掘りしたい人向けになります。
コンピュータサイエンスの研究者John Ellis氏らは「ユークリッドのストリング」2)なぜストリングという名前が付いているかは元のEllisの論文を読んでいないのでわかりませんが、おそらくネックレスは回転するのに対してストリングス=弦は回転させるのではなく端と端の数字を変更するからだと想像します。という考えを提唱しています。これは、まずリズムパターンをxごとに区切って数字にすることから始めます。例えば
E(4,9)=[x . x . x . x . . ]の場合、(2223)と書けます。ここで、始めの「2」に1を足し、終わりの「3」から1を引いて新たなパターン(3222)が出来ます。このとき、出来たパターンが元のパターンのネックレスとなっていれば(つまり回転して同じパターンになるのであれば)、このパターンはユークリッドのストリングとなります。この場合は元の(2223)と新たな(3222)は見てわかるように数字の並びを繰り返せば同じになります。つまり回転すれば重なるネックレスですから、ユークリッドのストリングです。
このように、ユークリッドのストリングを作る際には始めの数字に1を足し、終わりの数字から1を引いてネックレスのパターンを作ればOKです。ちなみにネックレスにならない場合はユークリッドのストリングとは呼べません。
他の例でいえば(1221222)を1を足して1を引くという同じ手順で変化させると(2221221)となります。これは数字が同じ繰り返しになっているので、ネックレスです。つまりユークリッドのストリングであると言えます。この場合の元のパターン(1221222)というのは実はE(7,12)=(2122122)を回転させたネックレスであり、ユークリッドのリズムそのものではありません。しかしこのネックレスからユークリッドのストリングが生まれるというわけです。
Ellis氏らによればこのユークリッドのストリングが可能なのはカッコ内に出てくる項の総数と総和が互いに素になっているときのみであるといいます。先ほどの例(1221222)でいえば、総数は7、総和は12ですから、これらは互いに素であり、ユークリッドのストリングが可能であることがわかります。
さらに、数字のパターンを逆から読んだ時に元のパターンのネックレスになっているものを「逆ユークリッドのストリング」と呼びます。例えば、(21211)は逆から読むと(11212)ですが、これは元のパターンのネックレスなので「逆ユークリッドのストリング」となります。
これらの用語を使ったリズムパターンの分類は元の論文の最後の方に載っていますので興味のある方はそちらをご覧ください。
さいごに
そもそもなぜこんな細かい分類が必要かと言えば、この分類によって世界のリズムパターンの地域差が説明できるかもしれないという民族音楽学上の構想がToussaint氏にあったからのようです。なんとも壮大で興味を引かれる話ではないでしょうか。
氏が説明している例によれば、「ユークリッドのリズムかつユークリッドのストリングでもあるリズムパターンは、クラシック、ジャズ、ブルガリア、トルコ、ペルシャの音楽で見られるが、アフリカではあまり見られない」「ユークリッドのリズムであるがユークリッドのストリングでも逆ユークリッドのストリングでもないパターンはサハラ以南のアフリカでしか見られない」とのことです。
この分類が妥当であるかどうかやその後の研究の進展などについて私には判断する知識がありませんが、もしこのような数学上の分類がリズムの地域差を説明できるとしたら大変重要な発見だと思います。
氏は残念ながら2019年の7月に亡くなったというニュースをネットで目にしました。この記事を書いている4日前のことだそうです。ご冥福をお祈りしつつ、機会があればまたこの理論について調べてみたいと思った次第です。
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References
1. | ↑ | Reason用のEuclidean Rhythmsというシーケンサーや、HornetのHATEFISh RhyGeneratorなど。 |
2. | ↑ | なぜストリングという名前が付いているかは元のEllisの論文を読んでいないのでわかりませんが、おそらくネックレスは回転するのに対してストリングス=弦は回転させるのではなく端と端の数字を変更するからだと想像します。 |